アイザック大阪校

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2012年02月

2012年02月10日

シルクロード自転車の旅 トルコ編

【トルコ 寒中爆走編】 


自転車の件を訴えにイラン警察に行ったが、まあ警察が見つけてくれるわけ
でもなく、お巡りさんに連れられて新しい自転車を買いに行った。
しょんぼりしている俺を可哀想に思ったか、自転車と装備品300ドルのところ
100ドルをお巡りさんと自転車屋さんがカンパしてくれた。
優しいじゃないかイラン人。
だから泥棒のことは呪っているがイランを恨む気持ちはあまりないのだ。
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アララト山



 さてタブリーズあたりから標高が高くなって一気に気温が下がる。
トルコは寒い寒いと聞いてはいたが、ほんとに寒かった。
入国初日からテントが結露で凍る。温度計で確認できた最低気温は-10℃である。
のんきに自転車漕いでられる気温じゃねえ。
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おまけにトルコは冬が雨季だから雨は降るわ雪は降るわ吹雪に見舞われるわで
散々だった。イランで自転車と共に盗まれた荷物の中にフライ
(テントの防水シート)、レインウェアパンツ、靴カバー、シュラフカバー
などが入っていたので、まさに地獄だった。フライがないので夜雨が降る
可能性がありそうなときはトンネルや橋の下などを見つけてテントを張らなくては
いけない。雨が降ると下半身はずぶ濡れになり、疲労凍死の危険もある。
雨具だけは調達しようとタブリーズで奔走したが結局見つからなかったのだ。


 雨の降りそうなある日、路上で風変わりな三人組と出逢った。
すれ違う瞬間「あれッ?」と聞こえて、(「あれッ?」て日本語だよな?)と
思い引き返すと日本人のマラソンランナーだった。
パリから日本へマラソンで向かっている途中だという。
中古車のガリバーの会長さんら三人ということだったが、トップがそんなことを
するなんて、日本の企業もまだまだ捨てたものじゃあない。
「エルズルムのホテルに泊まってるんだけど、招待するよ」と会長さんが仰るが、
距離的にかなり厳しい(あと一時間もすれば暗くなる時間で、まだエルズルム
まで40kmくらいあった)のでちょっと遠慮しようかな・・・と思っていたら、
誰かが「遠いしホテルはかなり高台にあるし無理無理」と言う声が聞こえた。
無理・・・?無理だって?
中国から一万kmを走ってきた俺に、たかが40kmが無理?3000m以上の峠を
越えてきた俺に、街からたかが300mの高台にあるホテルにたどり着くのが無理だって?
フフン、ずいぶん安く見られたもんじゃあないか・・・!俺は発奮した。


予想通り途中で日は暮れ、闇の中を走ること二時間、雪は降り始め人家は
途切れ、こんな山の上にホテルを作った人間に憎しみを感じ、野宿を選ばなかった
自分を責め始めた頃ようやくホテルに辿り着いた。
びしょ濡れでガタガタ震えながら夜中に転がり込んできた惨めな日本人旅行者に
ホテルマンも驚いていた。ちなみにこの旅で泊まった宿の中で一番高級だった。


またある日は2000mくらいの峠を越えている途中で日が暮れ、雨露をしのげ
そうなところも見つからず寒さに震えていると、ちょうど峠の頂上にある軍の
駐屯地(ジャンダルマという)から兵隊さんがやってきてついて来いという。
どこか駐屯地のガレージの軒先でも貸してもらえれば・・・と思っていると、
軍への来客者用の部屋を一室あてがってくれた。
食事も三度(夕食と夜食と朝食)ご馳走になり、翌朝出発の時には牛乳やら
チーズやらお菓子やら山のようにお土産を持たせてくれた。
トルコ軍とだけは絶対戦争をしたくない。
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 イスタンブールに着いた11月12日は珍しくいい天気だった。
ボスポラス海峡まで辿り着いた時には既に暗くなっていて、アジア側から見える
色とりどりの灯りに胸が熱くなったのを憶えている。


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走行距離およそ13,000km、通過した国8カ国(日本含む)、立ち寄った
世界遺産16箇所、かかった日数は216日。
福岡を出発した四月から七ヶ月かかってイスタンブールに到着。
いい人生勉強になったと思うが、別にすごいことを成し遂げたというほどのもの
ではない。こんなもん金と時間と体力さえあれば誰でもできると思って始めたし、
実際そうだった。それよりもこの経験を今後の人生にいかに役立てるか、
そっちのほうに今は興味がある。
ロマン・ロランは「ジャン・クリストフ」の中で、「人間は20代を過ぎたら、
それまでの人生をコピーするような生き方をするだけだ」というようなことを
言っているが、今後もこういう経験をコピーするような生き方ができるのなら、
俺の人生、これから先もなかなか面白そうである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


Yさん、なかなか壮絶な(?)シルクロード自転車の旅を送っていただきまして
どうもありがとうございました!!
ご自分の足で自転車で旅したYさんの人生観、人間観はとても柔軟になったかも
しれませんね。
う~ん、これからもYさんの人生、確かに面白そうですよね。

シルクロード自転車の旅 イラン編

【イラン イスラーム体験編】 


ビザ取得に時間をかけすぎ、予定より一ヶ月遅くトルクメニスタン入り。
トルクメニスタンは五日しか滞在できないので毎日限界まで自転車をこいで、
日が沈んだところでテントを張るという鉄人的な走行スケジュールであった。
とは言ってもこの時既に十月、日が短くなっているのでそんなに長時間走れない。
せいぜい120~130kmといったところ。
ちなみにこの旅での一日の最長走行距離は200km。カザフスタンだった。
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 イランのマシュハドに着いたところで久しぶりにホテルへ。
野宿と違って、夜野犬の遠吠えに怯えなくていいというのは安心感がすごい。
あまりに安心しすぎてホテルにパスポートを置き忘れて出発し、
しかも二日後まで気づかなかった。アホである。
取りに戻るのも大仕事だし、テヘランの大使館に送ってもらおうと思って
途中の小さな町で道端の兄ちゃんに携帯を借りてホテルへ電話。
携帯を貸してくれた兄ちゃんがついでに家に泊めてくれた。
おまけに、当日はなんか記念日だったらしく(テレビでマシュハドが映ってたし、
多分イマーム・レザーに因んだものだと思うがよく分からない)
地元のモスクへ連れてってくれた。「ムスリムじゃないけどいいの?」と
訊くが、「えっ別にいいんじゃね?」と気軽に集会に参加させてもらい、
ケーキとか食べさせてもらった。自分の人生でムスリムの集会に参加する
ことがあるとは想像もしていなかった。


 イランといえばアメリカと仲が悪い国で有名である。
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悪の枢軸などと不名誉な称号を与えられ、国内はテロリストがうようよいるかの
ようなイメージがあるが、それは全くの誤りで、この国を旅した人々は
口を揃えて「こんないい国はない」という。
国境付近を除けば治安もいい。俺も18日旅して回っただけだが、イランの
人々のホスピタリティには感心した。
家に泊まっていけとかお茶飲んでいけとかしょっちゅう声かけられるし、
これは中央アジアからそうなのだが、日本では考えられないくらい
フレンドリーである。アメリカの経済制裁のためVISAやマスターカードなどの
クレジットカード類が使えない(イラン国内のカード会社のものならOK)と
不便なところもあるが、道路が日本並みにきれいでチャリダーには
うれしい国である。


 反面宗教色が非常に強い。
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イスラーム教は戒律が厳しい(酒飲んではいけない、豚肉食べない、
音楽もダメ、女性は布で顔を隠す、等等)イメージが強いが、必ずしも
ムスリムが皆それを厳格に守っているわけではない。
中央アジアの人々も基本的に皆ムスリムのはずだが、平気で酒は飲んでいるし
音楽も聴いているし、布なんかかぶってる女性は見当たらない。
豚肉は確かに食べないが、ラマダーンなんか誰かやってんの?という感じである。
しかしイランは一本筋の通ったイスラームの国である。女性は皆しっかり
ヘジャーブをかぶっているし、男性も半ズボンにビーサンの人なんか絶対見ない。
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アルコール類の入手は非常に困難(不可能ではないらしい)。何せ冷戦下に
あってアメリカにもソ連にも頼らずイスラーム革命を成し遂げた骨太の国である。
国民全員が一丸となって政権を支え、世界の鬼っ子となっても平気でたくましく
生きていっている・・・と言いたいところだが、実際俺が聞いたところでは、
国民の政府への評判はかなり悪い。テレビにアフマディネジャド大統領が
映っていると「俺、この人大嫌いなんだ。ウソばっかりついて」とか
言っちゃうし、アメリカと仲が悪いことについて聞くと、「政府の
マネジメントが悪いんだ」とアメリカ批判より政府批判が始まる始末。
Facebookもかなり普及しているようだし、個人的には革命(反革命という
べきか?)も有り得るような気がする。先日もテヘランの英大使館乱入事件
なんかがニュースになっていてショックを受けたのだが、俺が一緒に
話してたような一般の人々がやったものとはちょっと信じがたいのである。


 さて「国境付近以外は治安がいい」と書いたが、実はテヘランから
タブリーズに向かう途中に自転車を盗まれたことを告白しなくてはいけない。
そう、前回アメリカ旅行で自転車を盗まれ、現地で買ったあの自転車を盗まれた
のである。盗まれすぎである。夜テントで寝ていて朝起きたら自転車と
外に置いていた荷物(雨具、防寒具、リシタンでの授業ノートやおみやげの
一部を含む)がなくなっていた。
人生で初めて、人を殺したいと思った。

シルクロード自転車の旅 中央アジア編

【中央アジア ビザ格闘編】 


そんなこんなでiranianvisa.comと約束した2週間は過ぎ、リシタンを出発して
首都タシケントに着いたもののiranianvisa.comから一向に連絡が来ない。
「7-10 working daysってHPに書いてあるじゃん!」と抗議のメールを
送ったが「イランでは木金が休みなんです」と返ってきた。
いや、その代わり土日働いてるって俺知ってるからね?
イライラしながらとうとう三週間待つ。「まだか!」とメールすると
「来週の前半には」と返ってくる。月曜日、火曜日、水曜日と連絡なし。
もちろんその間こちらからはメールを送っている。もうウズベキスタンの
ビザも切れてしまうから出国しなくてはならない。ビザ有効期限の前日、
ダメモトで大使館に相談してみようと行ったタシケントのイラン大使館で
偶然ビシュケクのさくらゲストハウスにいた日本人と再会、iranianvisa.comは
評判悪いということを聞き、彼らの使った旅行代理店(Touranzaminという
ところ)を教えてもらう。即そこに依頼のメールをして翌日出国、
カザフ経由でビシュケクに戻る。ビシュケクで確認するとiranianvisa.comと
Touranzaminと両方から番号が発給されている(タシケントからビシュケクは
460kmくらい離れてます。自転車で三日かかります)。Touranzamin、仕事早い!iranianvisa.com、遅すぎるがな!!遅いのはともかく(それもダメだけど)
うそつきはキライである。iranianvisa.comには「貴社は全く信頼がおけない。
今後二度と使用しないし、イランに行きたいという人がいたら貴社だけは
使わないよう助言する」と男らしく通告した。
こんなに「社会的に破滅させてやりたい」と思った相手は初めてである。
だから皆さんもイランに行く機会があったら、iranianvisa.comだけは絶対に
使わないようにしてください。


 タシケントに舞い戻りトルクメビザを申請した後、三週間もタシケントで
待つわけにはいかないのでさっさと出発した。ウズベキスタンには世界遺産が
四箇所ある。
サマルカンド、シャフリサブス、ブハラ、ヒヴァである。
世界遺産の街はどれも素晴らしかったが、順位をつけるなら
ヒヴァ>サマルカンド≧ブハラ>>>超えられない壁>>>シャフリサブスかな。
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 サマルカンドは言わずとしれた青の都、おそらく最も有名なシルクロードの
都市であろう。紀元前十世紀頃から栄え、アレキサンダー大王に攻められた
りモンゴルに破壊されたりしながらも復興しティムール帝国の首都となった。
現大統領のカリモフ氏もサマルカンドの出身である。
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有名な青の広場などは数十年前は廃墟同然で、大掛かりな修復活動を
経て甦ったという。でも「なあんだ、新築みたいなもんか」とガッカリせずに
見てほしい。やっぱり美しいぞ。シャフリサブスはティムールの生まれ故郷であり、
生前からティムールは自分の墓をシャフリサブスに作っていた
(実際に葬られたのはサマルカンド)。ブハラも有名なシルクロード都市で、
紀元前五世紀にはペルシャ帝国の一部として歴史に登場する。
タラス河畔の戦い以後イスラム化が進行し、かつてはバグダットと並ぶ
イスラム都市とされていた。ラビハウズ付近やカラーンモスクもきれいだが、
オススメはイスマーイール・サーマーニ廟である。公園の中にある小さな
煉瓦作りの建物だが、煉瓦の組み方で描き出している幾何学模様が何とも
言えず美しい。
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ブハラもサマルカンドと同様にかなり修復の手が加わって
いるそうだが、ヒヴァのイチャン・カラ(旧市街)は中世のシルクロード都市が
ほとんどそのまま保存されている。シルクロードの旅にヒヴァを入れないのは
モグリだと言っても言いすぎではあるまい。イチャン・カラもいいが、
オススメしたいのは郊外の遺跡巡りである。
この地域はアムダリヤの流れが変わる度に街を移動させてきた歴史があり、
放棄された古代の城址が360℃の地平線の中にそびえていたりするのだ。
おまけにびっくりするくらい観光客が少なく、天空の城ラピュタ気分に
浸れること請け合いである。
ウズベキスタンはユーラシア大陸ど真ん中、まさしく東洋と西洋の文明の
交差点である。砂漠地帯を結ぶオアシスの町に、様々な人種・民族・言語が
入り乱れて生活を営んでいる、シルクロードの印象に一番ぴったりくる
国だったと思う。
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シルクロード自転車の旅 ウズベキスタン編

【ウズベキスタン 教師体験編】 


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中央アジアを旅する上でちょっと面倒なのは、入国にビザが必要な国が
多いことである。ビザ不要なのはキルギスだけだ。
カザフスタンは日本人にはタダで観光ビザを発給してくれるし、日数も
二、三日と比較的短い。ウズベキスタンは一週間待ち。
 厄介なのがトルクメニスタンで、観光ビザはガイドを手配したりして
スゴク費用がかかる。トランジットビザだと有効期間はたったの五日。
ウズベキスタンの首都タシケントでビザを取得する場合は3週間待ちだという。
しかも出国先(俺の場合はイラン)のビザを持っていないといけない。
従って先にイランビザを取得する必要がある。
話はどんどんややこしくなるが、イランビザの場合はまずネット上で
イラン国内の旅行代理店にビザ発給番号取得の手続きを依頼しなくてはならない。
その番号が発行されたら大使館へ行き、ビザの発給手続きをする。
んで一週間以内にはビザがもらえるという按配である。


つまりタシケントでの場合、①ビザ発給番号取得をネット上で依頼→②番号取得、
イラン大使館へGo→③イランビザGet、トルクメニスタン大使館へGo→
④晴れてトルクメビザ取得、となる(他にもアルマアタで申請するパターン、
タジキスタンのドゥシャンベで申請するパターンなどがある)。
ところがウズベキスタンビザの有効期間が一ヶ月で延長が効かないため、
トルクメビザ発行を待っている間に一旦第三国へ出国しなくてはならない。
即ち、上記③の後、④ウズベキスタンを出国、キルギスへ戻り新しい
ウズベクビザを取得→⑤ウズベクに再入国してトルクメビザを回収、となる。
 ちなみにオシュ街道はもう二度と通りたくなかったので、カザフスタンの
シムケントやタラスを通るルートでキルギスへ戻ることにした。
つまりカザフビザもまた取り直さなくてはいけなかった。
しかもマルチビザをくれなかったので、行きと帰り二回分取る羽目になった。
ああややこしい。


 イランのビザ発給番号取得についてネット上で調べると、iranianvisa.comと
いうところが一番最初に出てきたので、深く考えずにそこに依頼。
7~10 working daysで発給とあるので、二週間くらい待ってればいいんだな、と
思い、待つ間を利用して、ウズベキスタンのファルガナ盆地にある
日本語学校へ行ってきた。
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 ファルガナ盆地のリシタンにはノリコ学級という現地の子供たちのための
日本語教室がある。ウズベキスタンの義務教育では半日しか授業がない。
おまけに綿花の収穫の時期は手伝いのため休みだとか、絶対的な勉強時間が
とにかく少ない。
そこで「子供たちに勉強する場を」ということで作られている。
金持ちのための学校ではない。だから運営は完全にボランティアである。
その学校で、俺は日本語と英語を教えていた。
本当は日本語だけだったハズなのだが、実は俺はカナダでTESOLという
英語教師の資格を取っている。で、英語もいつの間にか任されていた。
九月から日本に留学に行く人が五人いて日本語の特別授業をしたりで、
気がついたら朝から晩までめちゃ働いていた。
この2週間は心底充実していたと思う。やっぱ人と関わらなきゃダメよ、うん。
 この学校の問題は、教師が基本的にボランティアということである。
だから教師は長居しないし、そもそもいるかどうかも分からない。
俺が行ったときはJICAの職員さんが2年間だけ常駐していたが、その人が
常駐としては初めてで、後任がいるかどうかも不明。
お金を取らないから、教える側の人材確保が難しいのだ。


 ところで一人、英語が全く初心者の女の子が、これから大学受験があるので
十日間で英語を教えて欲しいとやってきた。
前述のこれから日本に留学に行くウズベク人が教えたほうがいいと思って
いたのだが(だって立命館APUに英語で試験受かってるくらいだから
相当できるはず)、なぜか彼が通訳に入りながら俺が教えることに。
 言語を勉強する場合、初めからターゲット言語のみで勉強するのはあまり
効率が良くない。不可能ではないが、効率が悪い。
単語一つ教えるのにマンガ描いたりパントマイムしたりしないといけないし。
通訳が入ってもいいけど、同じことを二回話すことになるわけだから結局
時間が倍かかる。何せ十日間ということなのでThis is a penから始めて超特急で
過去形と5W1Hの疑問文まで進む。これでもう一週間くらい。


教えながら確認していると、やっぱり初めての外国語の勉強だからなかなか
スムーズに呑み込めていない。通訳の彼は段々イライラしてくる。
こっちはハラハラしてくる。別に彼女の呑み込みが悪いとか言うんじゃなく、
そもそも無理な話だと思う。まだ現在完了とか仮定法とかあるのに。
一旦おさらいのテストをしてみるとbe動詞を理解していないことが判明。
通訳の彼、かなりキツイ調子でもっかい説明。
「まだわからんのか」みたいなことを言ってる。
で彼が出て行った後泣き出す女の子。どうしたらいいか分からない俺。
 勉強は呑み込みのいい人も悪い人もいる。得意分野・苦手分野もある。
しかしやる気のある生徒相手に理解させてあげられないのは教師の責任問題だろう。
…とはいえ、ペースは考えなくてはいけない。
まあ、ここはもう十日で一通りなんて無謀なプランは捨てよう、と思い
もう一度This is a penからやり直すことにした。
 ウズベク語はテュルク語系という大きなグループに属しており、トルコ語、
アゼリー語、カザフ語やキルギス語と似ていて、文法は日本語と基本的に
一緒である。だから「これはペンです」の「…は…です」がisにあたることは
理解できても、何故疑問文だとそれが先頭に来るのか、そのへんが
呑み込めないみたいなんだなー。
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でもそれが何故なのかとか言ってもあんまり意味ない。
これはこういう使い方をするもんなんだと考えてもらわないと。
通訳は彼女と同い年くらいの女の子に替えて(英語は全然下手だけど、
彼女に教えるには逆にいいかもしれない)、単語リストを作ってあげたりして
(教科書はみんな共同で使っているくらいで、彼女が自習できるような
参考書がそもそもない)色々工夫した。
その子から最終日にバラの花をもらって、「教え方がすごく良かった、
あなたが好きです」と言われた(通訳を介して。うーん、ロマンス)。
そう言ってくれるのは本当にうれしいことだけども、十日かかってようやく
be動詞を教えただけで、本当に自分の教え方は良かったのか、
個人的には疑問である。 十日間朝から晩まで付きっきりなら或いは
可能だったかもしれない。しかしそのために他の英語の授業や日本への
留学生の授業を捨てるわけにもいかない。
人生は常にトレードオフである。

シルクロード自転車の旅 カザフ編

【カザフ・キルギス 異国奮闘編】


 二ヶ月続いた中国をコルガスの国境からカザフスタンへ脱出。
色々と変化がありすぎて驚く。
まず女の子のレベルが上がった。
今まで「結婚するなら日本人の女の子としたい!」と思っていたが、
「カザフ人の女の子でもいい!」と思うようになった。
カザフに入って良くなったのはここだけである。道の舗装が悪くなった。
メシがまずくなった。まともな道路地図がない。
中国から出て一ヶ月くらいは「あぁ中国戻りたい・・・」と切ない気持ちになった
のを覚えている(主に食事の面で)。
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 カザフスタンではアルマアタ(アルマトイ)が、物価は高かったけど、
キレイで何でもあって良かった。しかし国立博物館にトイレットペーパーが
備え付けてなかったのはショックだった。
守衛さんやレセプションに聞いても「ない」という。
またそんな時に限って腸内の活動が活発なのである。
展示に一生懸命集中しようとするが、ご腸内の皆さんの自己主張がスゴイ。
やむを得ず退館してホテルに戻ってしまった。
しかし国立博物館にトイレットペーパーがないとは納得がいかない。
俺は一生許さない。きっと十年後もカザフスタンの話になったら
「アルマアタの国立博物館、トイレットペーパーがなかったんだよねえ」と
いう話をし続けるだろう。


 キルギスの首都ビシュケクではウズベキスタンのビザを取るために
一週間滞在した。ここにはさくらゲストハウスという有名な日本人経営の宿が
ある。そこで出会った車で旅をしているスイス人二人組に誘われ、
ウェールズ人と四人でイシククリ湖に行ってきた。
湖周辺は全然観光地化されておらず、水辺ぎりぎりまで植生のある砂浜に
静かに静かに波が寄せている。十五分ごとに虹が現れる幻想的な天気で、
夜は湖畔で焚き火をしながらダイス遊びに興じた。
ちなみにその夜、俺は30才を迎えた。
 その後、ビザ発給までの残り日数はさくらゲストハウスのオーナーの
娘さんたちと情熱的に過ごした(4歳と7歳、超かわいい)。
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 忘れられないのはビシュケクからオシュへの街道。
最初の峠がもう険しすぎる。
標高3100m付近に中央アジア1の長さを誇るトンネルがあるのだが、
何故もっと低いところに作らなかったのか問いたい。問い詰めたい。
果てしなく続くつづら折れの峠道に心が折れて、途中から自転車を押して
登ったのはナイショである。山中の景色は美しく、キルギスが中央アジアの
アルプスと言われるのも頷ける。感動して、あれだけ登らされたのも
許せてしまった。
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 問題は犬が多いのだ。なんだ犬なんか怖いのか、と思われるかもしれないが、
そういう人は狂犬病(発症したら致死率は100%)の恐れがある地域で
いっぺんマジで追いかけられてみるといいのだ。
噛まれたら病院に行ってワクチンを打ってもらわないといけない。
奴ら目が肉食動物の光に輝いてるし、自転車じゃ短距離走は犬に負ける。
マスターキートンのお父さんだって「犬は地上最強の動物だ」と言ってる
くらいだ。そして犬の最悪なところは、バカなところである。
何の罪もない、ただ自転車で走っているだけの心優しい旅人を狂ったように
吠えながら追いかけてくるのだ。バカでしかない。
犬は人間の友達だなんて言っても、一皮むけば奴らは所詮獣である。
シルクロードの旅全行程を通じ数え切れないほどの犬に追いかけられたが、
このオシュ街道の犬が一番数が多く、一番性質が悪かった。
今度機会があったら、奴らにはキッチリ説教しなくちゃいかん。

2012年02月09日

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2012年02月06日

☆☆ キャセイパシフィック航空 内定!おめでとう! ☆☆

アイザック 大阪校 内定速報!!
☆☆ キャセイパシフィック航空 内定!おめでとう! ☆☆


ファイナル面接から、内定のご連絡までが本当に長く、
受験者の皆さんはもちろん、私達講師も、落ち着かない日々を過ごしていましたが、
アイザック大阪校の生徒さんにも正式にキャセイパシフィックから内定連絡がありました!

キャセイ出身の宮本先生のプライベートレッスン10レッスンを
しっかり受講され、インタビューにおける英語をしっかり底上げされて面接に挑まれましたね!
Sさん本当におめでとうございます!

キャセイといえば、真っ赤で素敵なユニフォーム!
また日本人乗務員も、世界中へのフライトに乗務できることで、
受験生に人気なエアラインでもあります。

4月には香港へ出発されるSさん、
次は真っ赤な制服に身を包まれた素敵なお写真、
送ってくださるのを楽しみにしていますね☆

Sさんのご活躍、講師・スタッフ一同、お祈りしております。



月・木レギュラークラスでお話をしてくださるSさん。
生徒さんは真剣に聞いていらっしゃいました。
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アイザックは、皆様の「合格」までを大切にサポートさせて頂きます。

☆☆ JALスカイ 2名内定!おめでとう! ☆☆

アイザック 大阪校 内定速報!!
☆☆ JALスカイ 2名内定!おめでとう! ☆☆


エアラインを目指す多くの生徒さんが待ち望んでいるJAL系の採用…
その皮切りとなったJALのグランドスタッフ、JALスカイに
大阪校から2名の内定者が出ました!

現在、大学4年生のお二人、
この時期までエアライン受験を続けてこられた甲斐があって、
第一希望のJAL系列会社から内定をもらうことができましたね!

おめでとうございます!

お二人の勤務予定地は、成田空港☆
毎日、たくさんの飛行機が離発着する、国際線の玄関口です。

JAL便をご利用のお客様の旅が素晴らしいものになるよう、
お二人の素敵な笑顔とおもてなしの心で貢献してくださいね。

講師・スタッフ一同、ご活躍をお祈りしております。



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