アイザック大阪校

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講師紹介

2010年05月12日

講師に直撃インタビュー!     ~チェコ編~

この前、J:COMのインタビューに答えてくれたチェコ語講師のオンジェイ先生
なんと「狂言師」でもあります!
狂言を通してチェコと日本を行ったり来たりしながら、両国の文化の橋渡しを
精力的にされています。おもしろそうですね!
どんな話が聞けるのか!?早速オンジェイ先生にインタビューをしてみましたよ~!


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【お国、故郷について】
チェコのパルドゥビツェの出身です。プラハから100kmほど東にある町です。


【日本に来たきっかけ】
今、京都で狂言をしているんですが、日本に興味を持ったのは15才の頃に
チェコ語に翻訳された狂言の「骨皮」という台本を読んだのがきっかけなんです。
日本は武士の世界とか硬派なイメージしかなかったんですが、こんなダジャレの
世界もあるんだ、ととても興味を持ちましたね。
人を傷つけないユーモアで笑えるのがいいです。
これは古典ではなく、現代に通じるエンターテイメントだと思います!


【チェコの日本の影響】
チェコでは日本の古典文化作品がたくさん翻訳されています。
万葉集、徒然草、古事記、枕草子、紫式部日記などなど、何でも手に入るんですよ。
また、プラハには日本のマンガ図書館もありますしね。僕はマンガやアニメの
世界も理解しようとしましたが、ちょっとそっちは無理でした(笑)


【日本で思うこと】
私は京都に住んでいるのですが、古いお寺などは大事にするのに、街並みや家が
あまり保存されていなくて、バラバラ(!?)だなぁと。
日本はハイテクの国ですが、この前、日本のオール電化の家をチェコ人のVIPに
紹介したとき、機能的だけれど、生活感がない、という感想がありましたね。
日本の情緒のある古い町屋を外国人が泊まれるようにしたら
結構いいんじゃないか、と思いますね。


【皆さんへ】
外国に出ることは、その国のことを学ぶだけでなく、自国のことを見つめなおす
機会になります。
今まで当たり前で、疑問にも思っていなかった自分の持つ文化の色んなことに
気づくいいきっかけになると思います。
あと、日本人は概して忙しいですよね。いつの間にか仕事のためだけに
生きている、ということにならないようにして欲しいです。


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さぁ、狂言にちょっと興味が出たあなた、早速一度狂言を見に行ってもいいかも
しれません。
また、オンジェイ先生を中心に形成されているチェコ人狂言師による劇団
「なごみ狂言会チェコ」はチェコ国内で多数のチェコ語狂言を上演しているそうです。

2010年04月22日

講師へ直撃インタビュー!      ~中国編~

今回の「講師へ直撃インタビュー!」はお母さんでありながら、大学院で
経営研究科の博士課程を履修中の向学心あふれる中国語講師 太 紅梅先生の登場です♪


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【お国・出身地域について】
私は中国吉林省延吉市出身です。
吉林省は韓国人の自治地区で朝鮮族が多く住んでいる地域です。
私も朝鮮族で、中国人でありながら韓国の生活習慣で暮らしていました。
例えば、今は大分変わりましたが漢民族はもともと家の中でも土足ですが、韓国は
日本と同じで、家の中は靴を脱ぎますね。
食文化もしかりで、延吉市ではこの両方の文化が混ざった料理「延吉冷麺」が
有名です。吉林省はこのように中国本土の文化と朝鮮半島の文化が混ざり合った
独特の地域なんです。



【日本に来たきっかけ】
私は中国で師範大学(教育大学)を卒業し、高校の講師を2年間していました。
でも生徒に教えていくうちに、もっと自分も勉強をしたいと思うようになったんです。
また、先に日本に来ていた友人から「外国に出てみないと世界の広さは分からない。
安定した仕事でそのままいるよりも、自分の可能性に向けてチャレンジした方が
いい。」という言葉も私の背中を押してくれました。
私は生徒にもよく言うんですが、人は動かないと運が向いてこない!
例えば、道があって、今の地点ではまだ限られたところまでしか見えないかも
しれない。でも、もう少し進むと今まで見えなかったような景色が広がるんだって。
だから自分を狭い枠に閉じ込めようとしないで、思い切って「外」に出てみることを
お奨めします!!


【日本について】
中国は自転車の多い国ですけど、日本も意外と多いのに驚きましたね。
先進国ですから、そんなものはないような気がしていたんです。
日本という国はお金があれば何でも買えるし、とても暮らしやすい国です。
でもお金がなければ基本的な生活費が高いので、暮らしが大変です。
中国は贅沢しなければそれなりの生活ができるんですが、日本は辛いですね。


【日本人について】
日本に来て10年経ちますが、来た当初から今までずっと変わらない印象としては、
日本人は「とっても優しい」ということです。
でも優しいから遠慮したり、はっきりものを言わないために返って誤解を
生んだりもするんですよね・・・。
また、日本人はちゃんと意思を伝えることがあまり得意ではないように思いますね。
外国人には苦手意識があるのかもしれませんが・・・。
でもこちらもそれを理解して接することで仲良くなれることも多いと分かりました。
また、多分小さい頃からのしつけなんだと思いますが、他人に迷惑をかけないように
しますね。でももっと迷惑をかけても(?)いいんじゃないかなぁと思うことも
あります。


【語学を勉強する皆さんへ】
まず、語学を勉強しているで、お金や時間がかかると負担に思わないことですね。
語学は間違いなく自分にプラスになることだからです。
自分の能力を高めるためだという目的をぜひ忘れないでください。
他人と違う能力をつけられることですから、ぜひがんばってくださいね!

2010年03月26日

講師へ直撃インタビュー!~ベトナム語編~

今回の「講師へ直撃インタビュー!」はベトナム語のティエン先生です♪
最近経済発展の著しいベトナムですが、現在のベトナムの状況やベトナムの
教育などお話してくださいました!


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【お国について】
ベトナムのホーチミン出身です。
とても活気のある町で、大阪のおばちゃんみたいな人もたくさんいます。
また、人情味のあふれる町でもあって、40~50年前の日本のような雰囲気もある
ので、年配の日本人にとっては懐かしい感じがするようです。
例えば子供たちが舟に乗っている知らない人にも手を振ったり、なんだかホッとする
雰囲気があります。
最近近代化が進んでいますが、場所によってはまだまだです。
未だに葉っぱで作った家に住んでいる人もいますし、電気が通っていない家、
電化製品のない家だってあります。
だから所によってはランプの生活です。
それと郊外は道路の整備が追いついていないので、ホコリがすごいんです。
学生の制服は白いアオザイなんですが、すぐにホコリだらけになるので毎日洗濯
しないといけないんです。特に雨季のときなんて大変ですよ。


【ベトナム人について】
のんびりしていて、仕事の時間や集合時間もかなりルーズです(笑)。
ベトナム人は手先が器用な民族なので、陶器の模様などの刺繍が有名です。
量産には中国の方がスピードも早いのですが、あまり丁寧な仕上がりではないことも
多いです。
ベトナムの方が作業が丁寧で、美しいと言われていますよ。


【日本のイメージとカルチャーショックについて】
日本人といえば、やっぱり真面目で働き者。いい人が多いですね。
大阪では道に迷ったとき、わざわざ連れて行ってくれることもありますしね。
でも正直ちょっとショックなこともありました。黙々と真面目に働いていた人が
お酒を飲むと豹変することがあるのには、「えっ!!」と思いました!
あとは電車の中で化粧をしている人がいるのも驚きでした。


【ベトナムの教育制度】
ベトナムでは小学校から進級テストがあって、これに落ちると次の学年に
上がれないんです。3回留年したらもう夜間学校で勉強するしかなくなるんですよ。
要するに義務教育がないんです。
大学も単位が足りなくて次の学年にいけない場合、落とした単位だけでなく、
すべての科目をもう一度取り直さないといけないんですよ。
日本よりかなり厳しいシステムになっています。


【語学を勉強する皆さんへ】
なかなか覚えられないからムリだ、と思うと覚えられるものも覚えられません。
繰り返ししないとすぐに忘れてしまうので、復習を大切にしてください。
しゃべれるようになるまであきらめないでください。新しい世界がその先に
待っているんですから。

2010年03月11日

講師へ直撃インタビュー!~ドイツ語編~

「講師へ直撃インタビュー!」も5回目になりました。
いろんなカルチャーショックがありますが、日本の体育会系のクラブなどに
見られる先輩、後輩といった日本の「上下関係の厳しさ」に戸惑う人も
多いようです。
日本では厳しくしつけられた体育会系のクラブ出身の人は大企業で重宝されたり
するんですが、時にはそれが理解不能なニッポン、と思われることも。


今回の登場はそんな経験を持つドイツ出身のマーティン・ケスティン先生です!


【マーティン先生のドイツセミナーの内容↓】
ベルリンの壁編
ドイツの音楽編


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【お国、故郷について】
ドイツのオーロルゼンという小さな町に高校までいました。
とにかく田舎で、早く大学生になって都会に出たくて仕方ありませんでした(笑)。
ドイツでは高校を卒業したら1年間兵役につくか、社会ボランティアに携わるか
選べますので1年間看護士としてボランティアをした後、晴れて大学に行きました。


【日本文化への興味】
大学では余り人が勉強しないことを勉強したかったので、「日本学」と
「ドイツ語教授法」を専攻しました。
「日本学」では何を勉強したかというと、日本の古典芸能、例えば狂言、能、
歌舞伎、文楽などなど。他にも平家物語などの古典文学のほか、現代文学も勉強
しました。「禅」にも興味がありましたね。
卒業したらぜひ日本に行って働きたいと思っていました。


【日本でのカルチャーショック】
初めにびっくりしたのは、日本の大学の寮の中での上下関係の厳しさでした。
日本の大学に入って、体育会系のクラブの人たちと同じ寮だったのですが、
下の者は上の人の言うことを聞く!という日本の考えに従わないといけなかった。
ドイツでは上の人と下の人はもっと対等で「パートナー的」なので、ショックを
受けました。
ドイツの今の日本の一般的なイメージは開放的なファッション、コスプレ、
ビジュアル系。
それだけに、この寮での厳しい経験が、明るい外向きのイメージと内側の現実を
見た気がしたんです。まぁ、どこの国にもあることですけどね(苦笑)。
あと、日本と言えば「部屋が狭い(笑)」とか「働き過ぎ」というイメージも
あるかな。


【語学を勉強する皆さんへ】
文法など細かいことを気にしすぎず、意思が伝わることを目標にしてください。
語学はコミュニケーションのためにあるものですので、まず伝えようとすること。
細かいことは後でいいんですよ。


2010年02月26日

講師へ直撃インタビュー!~フィンランド編~

講師へ直撃インタビュー!の4人目はフィンランド人の小西マリアレーナ先生
です。
今やすっかり日本人のような先生ですが、日本に来た頃の失敗談も話して
くださいました~。


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【マリアレーナ先生のフィンランドセミナー↓】
フィンランド・カフェ①
フィンランド・カフェ②
フィンランドの教育に迫りました!
クリスマス・カフェ


【お国・故郷について】
フィンランドの北部のオウルという港町が故郷です。
とても寒いところで、冬は海が凍りますし、夏も寒い日があります。
サーモンやニシン、イワシなどの燻製など魚類をよく食べます。
オウルは大学の町で、オウル大学には日本語学科があり、日本人の先生が
来て教えていますよ。


【日本に来たきっかけ】
フィンランドで今の主人に会いました。
結婚した時、地元の新聞の出産や結婚などが載る欄に掲載されましたが、
周りの反応で「日本人と結婚なんていいわねぇ」と言われました。
日本人はその当時から真面目だという、とてもいいイメージがあったんです。


【フィンランドの日本ブームについて】
昔、フィンランドで初めて日本の歌として紹介されたのは「黒猫のタンゴ」です。
歌詞は日本語からフィンランド語へ直訳されていました。
今は日本の漫画や映画はとても人気があります。
若い人の間で日本語を勉強する人も多いですしね。
また、大きなスーパーに行くとお寿司の材料が売っているので、フィンランドに
帰ったときは「巻き寿司作って!」と家族からリクエストされます。
お酢や海苔、みりんもありますし、寿司専用の「スシ米(←フィンランド語で)」
もありますから断れません(笑)。
お好み焼はまだあまり知られていませんが、家族に好評でしたので、フィンランドで
お好み焼屋を開店したら流行るかもしれませんよ!


【日本でのカルチャーショック】
私は奈良に住んでいるのですが、はじめ、何て狭い道路なんだろうと思いました。
このすれ違えるかどうかというような狭い道を運転している日本人は、器用だなぁ
と思いました。今は私も慣れたもんですけどね。
あと、トイレにスリッパがあるのがどうも慣れなくて、スリッパを脱ぐのを
忘れて出ることもありました。
あと、失敗談なんですが・・・。
お世話になった義姉にお礼をしようと思って花を買おうと思ったのですが、
まだ日本語もできなかったので、花屋さんであまりかわいくないけど
まとめてある花があったので買って、果物と一緒に義姉の家に持って行きました。
それが実は仏花(!)だったんです(笑)!
義姉はお墓に供えてください、という意味かと思ったようです・・・。


【語学を勉強する皆さんへ】
テキストだけの勉強に留まらず、ネットなどを使ったり、旅行に行って
実際に使ってみると、モチベーションも上がります。
通じると意見交換などできて面白いです。

2010年02月19日

講師へ直撃インタビュー!~フィリピン編~

興味深い話題満載の「講師へ直撃インタビュー!」。
今回はフィリピン人の蔦木ジュリエット先生です!


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【お国・故郷について】
フィリピンの最大の島、ルソン島にある首都マニラ出身です。
ここは心優しい人が多くて、自然とお互い助け合う文化がしっかりあります。
代表料理としては、フィリピンといえばレッチョンバブイ(豚の丸焼き)です。
(豚が丸ごと焼いて足を棒にくくりつけてぶらさがっているアレ)
結婚式、クリスマスなどでは必ず出ます。
また、ハロハロ(Halo halo かき氷とアイスクリーム、フルーツにナタデココなどが
お皿に盛られている甘党デザート)もご存知の方が多いと思います。最近日本でも
ありますが、日本のものとは全然違いますよ!断然おいしいです!


【日本について】
感じるのは、日本人はスキンシップが足りないなぁと。
フィリピン人は自分の感情を大げさなくらいジェスチャーやスキンシップで表します。
そしていつもお互い知らない者同士でもさりげなく"Are you OK?"とか
"Do you need some help?" と気遣い合うのです。
それと、日本に来て、びっくりしたのは自転車が多いですね~。
フィリピンでは自転車というと、子どもが遊びで乗るものなんです。
あと日本の女性は人に頼らず、自分で何でもするので強いなぁと思います。
すごくがんばってますね。
フィリピンではヘルパーさんがいるんですよ。
私も日本で子どもを産むときもヘルパーさんがいないことが大変でした。
買い物も料理も全部自分でしないといけないので、ちょっと辛いです。


【教育について】
フィリピン人はタガログ語と英語両方使います。
でも大学に行っていない人はあまり英語が上手ではないので、すぐ分かります。
フィリピンはお給料は低くて物価が高い、経済的にバランスが取れていないのです。
フィリピンでしっかり生活していくためには、まず「教育」です。
教育がなければいい仕事に就けませんね。
日本はある程度お金があるのですが、フィリピンはそうではないですから・・・。
私の家族はほとんどカタール、カナダなど、外国で仕事を見つけて暮らしています。


【語学を勉強する方へ】
難しいかなぁと思ってもやってみないと分からない!
自信をもってください。そしてやる!と自分で決心をすることです。

2010年02月17日

講師へ直撃インタビュー! ~ウクライナ編~

「講師へ直撃インタビュー」第2回目の登場は・・・
ウクライナのオデッサ出身のミグダリスキー・ウラディーミル先生。
なんと少林寺拳法5段、金剛禅宗の少導師の資格を持っておられるユニークな経歴
の先生です!


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【お国・故郷について】
私の出身のウクライナのオデッサという町は黒海に面した港町です。
気候が豊かな地域です。
ソ連時代に作られた「戦艦ポチョムキン」というサイレント映画をご存知でしょうか?
それは「映画の教科書」といわれるほどのすばらしい映像技術の傑作映画なの
ですが、その中で乳母車が階段から転げ落ちるとても有名なシーンがあります。
そこがオデッサで、そこは「ポチョムキンの階段」という名前がついています。
(ポチョムキンの階段のシーンは「映画史上もっとも有名な6分間」として知られて
いるそうです。)
食べ物はボルシチが有名ですね。


【日本に来たきっかけ】
父の影響で子供の頃から武道と日本語を趣味でやっていました。
初めて日本人に会ったのは私が11歳のときです。といっても日本からの
代表団がソ連にやってきて、旗を振って出迎えたんですけど・・・。
その頃にはもう、ひらがなは書けましたね。
当時はソ連時代で外国に行くなんてありえない時代でしたが、日本のアニメは
知っていました。「長靴をはいた猫」とか「龍の子太郎」とか。
あと、日本の「白鳥の湖」のアニメは当時、ソ連でとても有名でしたよ。
私はもともと日本が好きで、もっと研究したくて来たんです。


【日本のイメージ】
ソ連時代、日本といえば黒澤明の映画のイメージでした。女性は着物を着て
男性は刀をさして歩いている、というような。
今はやはり家電、クルマ、寿司、アニメ、というイメージが強いですね。
私は1990年に日本に来たのですが、それまでかなり日本について調べていて
よく知っていたのですが、やはり全く違う陽の光だと感じました。
そして、仕事中心のサラリーマンが印象的でした。


【語学を勉強する皆さんへ】
「違い」を見つけることは簡単です。でもちょっと努力をすると「共通点」を
見つけ出すことができます。その「共通点」を見つけるようにしてください。
それは人と人、国と国との間にも言えることです。
人の言うことに耳を傾け、話をしてみることは、とても大切です。
また間違えることを恐れてはいけません。むしろ間違ってください。
そこを教えるのが先生の役目ですから。

2010年02月16日

講師へ直撃インタビュー!~ブラジル編~

アイザックには様々な国から来たすばらしい先生方がたくさんおられます!
その先生たちにスポットを当てて、お国自慢並びに日本人への考え方などなど
その国を代表して(!?)語っていただきます!
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まずはブラジル出身 芦田ルイーザ先生です!


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【ルイーザ先生のブラジルセミナー↓】
ブラジルの歴史と日系人


【お国について】
ブラジルのサンパウロ市出身です。
サンパウロという都市は非常に大きくて、となりの州に行くのも飛行機がある
位です。日本で言えば、東京のような存在で、色んな国から人々がやってきます。
なので様々な民族、文化が混在していて、イタリア系、ユダヤ系、東洋人など
それぞれ民族ごとに街を形成しています。日本人街は「リベルタージ」といいます。
それぞれ、その国の料理が食べられるレストランがあったり、店があったり
ブラジルにいながら外国の文化を身近に感じることができますよ。
また、パウリスタ通りという通りは外資系のオフィスや銀行などが立ち並び、将来
ここで働きたいなぁとあこがれていました。


【日本に来たきっかけ】
日系3世なので、直接日本の文化に触れることがなく育ってきました。
高校までは皆と顔が違うのが嫌で、自分の中に日本人の血が流れていることを
受け入れられなかったのですが、高校生になってから意識が変わってきました。
ブラジルでは日系人は大体成績も上位でしたし、日本人は優秀だということで
とてもいいイメージがあるんです。
それで、回りの友達から興味を持たれて色々聞かれることが増えてきて
自分も日本のことをもっと知らないと、おじいさん、おばあさんの祖国に
行ってみたい、という気持ちが募って18歳のときに日本に2年滞在したのが
はじめですね。


【日本で驚いたこと】
まず日本女性について。
いつも格好がキレイすぎる!例えばスーパーでもハイヒールの女性がいたりして、
はじめはパーティーでもあったのかと思いました。
ブラジルではゴムサンダルとかノースリープのカジュアルなスタイルが主流
ですからね。また、肌が白くてきれいで、とっても若く見えます。
日本の空港は線香とお漬物の匂いがしたのを強烈に覚えています。
あと、和式トイレは私の日本の近代的なイメージと全く対極にあるものでした。
どっちを向いていいのか分からなかったですし・・・。
また、日本人は緊張感がないと感じます。電車でもどこでもアナウンスや指示だらけ
だからでしょうか?
また、若い人がお年寄りに席を譲らないのはびっくりしました。
ブラジルではそんなのは常識ですよ!
また、自転車を交通手段として乗るのは賢いな~と思いました。
ブラジルではマウンテンバイクとか、趣味として乗るものなんです。
ママチャリが荷物も乗せられて一番便利だと言って、他の外国人も買っていましたよ。


【語学を学習する皆さんへ】
まず「継続」してほしいと思います。
また、その国や人、文化にも興味を持ってほしいですね。
その国の日常を知ることで、テキスト以上のものが得られます。


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